おそらく母は「食育」なんてことを考えてはいなかっただろう。
子持ちで勤めに出る女性の少なかった昔の地方都市で、「母親が家庭に入らなかったから」と言われたくない一心でやってきたのだと思う。
料理が嫌いではなかったことが、幸いしたかもしれない。
でも、母がそうしてきたことが、今の私に影響を与えていることは確かだと思う。
高級デパ地下デリカなら違うのかもしれないが、コンビニやスーパーの出来合いが続くと、自分がダメになっていくのがわかる。
食欲が落ちるのだ。
「食べたくなくなる」ということではない。
三食が機械的に空腹を満たすだけの行為になってしまう。
あれが食べたい、これがおいしそうだという感覚は、不足している要素への欲求だと思うのだが、それがどんどん鈍っていく。
壊れてるなぁ・・・という実感を持ったときが抜け出すチャンスだ。
自分のものぐさでこのループにはまったときは、とにかく自分に無理やり炊事を課すことにしている。
匂いで内側の欲求がかき立てられるからだ。
栄養バランスを考えた食生活なんてものは試みたことすらないが、自分の中のこうしたセンサーの存在に気づくことができたのは、母のおかげだと思っている。
ところで、「食育」の話にはどうしても「体型」の話が切り離せないらしいが、やせすぎモデル排除だのメタボタレント排除だのという短絡的な議論には、私は抵抗がある。
自分が否定されたような気になるからだ。
私は物心ついたときに既にやせていた。
子供の頃は小食だからと言われたが、結局それが解消しても変わりはしなかった。
もう、この年齢になれば、両親や祖父母から受け継いだ体質だと言い切っていいだろう。
長年、意識せずとも体重は一定しているから、自分はここでバランスがとれているはずなのだ。
未来のことはさすがになんとも言えないが、幼少の頃から誰よりも丈夫で、やせすぎであることは、私に何の害ももたらしてはいない。
そのことを、自分が気に病むことはあっても。
体格のよくない子供にとって、もっと大きくなりたいと思うのは普通のことだし、思春期になれば女らしい特徴が体型に表れないのはやはりつらい。
そんな年頃に現れた、同じような体型の女性アイドルの存在は私の励みになった。
こういう体型なのは、自分だけじゃないということ。
体型の生かせる服、カバーできる水着・・・そこそこ無難な体型の雑誌モデルより、彼女が着てくれたほうが説得力がある。
成人後も、彼女の出産が私を勇気づけた。
祖母も母も産めたのだからと思っても、やはりどこかに不安があったのだ。
やせ型モデルに偏重するのはよくないけれども、いろんな美しさを見せていくことは必要なのではないのだろうか。
過度なダイエットによるやせすぎ、自己管理のできない肥満がどのくらいの比率なのかは知らないが、体型で人を判断するような風潮を作り出すのはやめてほしい。